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N. G. Place

『青い鳥』/M. メーテルリンク

『青い鳥』/M. メーテルリンク(堀口大學訳/新潮文庫)
きっかけはsahとの会話だった。
「青はラッキーカラーか」
よくブルーな気分とかあまり良いイメージで使われない色。
「でも、『青い鳥』ってあるじゃないですか」

そこから『青い鳥』について話がシフトした。
「子どもが二人出てきて…名前はヘンゼルとグレーテル?お菓子の家?」
グリム童話と混同していた。
そういえば私も青い鳥といえば(チルチルとミチル/幸せの青い鳥)
くらいの単語しか浮かんで来ないのに気付いた。





『青い鳥』は戯曲(啓蒙的演劇)である。
「チルチルとミチルの兄妹が、犬のチロ、猫のチレット、それに光や水やパンなどの精とともに幸福の「青い鳥」を求めて、思い出の国、夜の宮殿、死の国、未来の国などを巡るという6幕12場構成の夢幻劇で、結局青い鳥は自分の家にいた、つまり幸福はわれわれの手元にあると語る(集英社世界文学大事典)」という物語である。

正直2回読んだけど、理解できなかった。キリスト教の知識がないし、それだけじゃない気もするし。「光」は何を擬人化しているのか。信仰心か、宗教を超えた存在なのか。なぜ「光」は「幸福の花園」で「大きな喜び」たちと別れるとき涙ぐんだのか。「光」は「死」なのか。

なんで「幸福の鳥」は「青い」のか。しかもなぜキジバトなのか。
このあいだ行った「恐竜博」で一番最後のブースにダーウィンの進化論についての説明があって、ダーウィンが実験に使ったとされる「イエバト」の骨や様々な鳩の剥製が展示されていた(はず。ダーウィンはこの実験を通して相当なハトおたくになったらしい)
ダーウィンが『進化論』を発表したのが1859年。メーテルランクが生まれたのが1862 年。『青い鳥』の初演は1908年(09刊)。時代背景を踏まえないと理解できない気がする。

本当に幸福はわたしたちの手元にあるのか。最後の最後で、青い鳥は逃げてしまうのである。「青い鳥」(幸せ)が「青く」見えなくなる状態(幸せと感じない)の時は自分を見失ってるといるから気をつけろ、ということか。

どちらにせよ、私は今まで「青い鳥」を誤解していたことになる。「私の青い鳥はどこにいるの?」という使用法はまちがっていた。もう答えは出てるのだ。青い鳥は自分の生活の中にいる(だからどこ?

メーテルリンクはベルギーの劇作家・詩人・思想家。日本でも明治の終わりから昭和の初めまでもてはやされ、急速に忘れ去られた作家らしい。
なんだかおもしろそう。
石はどれでも同じなんだよ。どの石もみんな宝石なんだよ。だが人間はその中のほんの少しだけが宝石だと思ってるんだよ。
「青い鳥」/M. メーテルリンク(堀口大學訳/新潮文庫)

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by pea19 | 2005-06-12 22:09 | 趣味

N. G.なもの・人・場所を記録しておいて、近寄らないようにしたい。
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